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「忍びの国」は三重にあった!伊賀流忍者のルーツと歴史を解説

忍者

 

 

ご存知の方は多くないかもしれませんが、三重県はあの「忍者」が存在していた地でもありました。

忍者は漫画などの影響で、今や世界に誇るクールジャパンの文化の一つですが、その代表的な二つの流派の一つは三重県にあります。

忍者の有名どころといえば伊賀忍者と甲賀忍者ですが、伊賀忍者は現在の三重県伊賀市が発祥です。

二大忍者の里、伊賀と甲賀

忍者を扱ったフィクションにおいて、伊賀と甲賀はよく敵対関係として描かれていますが、伊賀の里、甲賀の里は現在でいうところの三重県伊賀市と滋賀県甲賀市。

2つの市は山を隔てて隣接しています。

いわゆる「忍者モノ」のフィクションではお互い争いあっている描写やストーリーが多いですが、戦時はともかくとして平時にはいわば同業として協力関係にあったようです。

よく敵対関係として描かれるのは、お互いの仕えていた主人の違いにあったと言われています。

伊賀忍者は徳川家康に仕えておりましたが、甲賀忍者の主君は豊臣秀吉。

織田信長が滅んだ後、日本の天下を争った徳川家康と豊臣秀吉の対立関係は史実にもよく知られる通りですが、伊賀忍者と甲賀忍者は仕える主君の対立により対立構造にあったのです。

天下分け目の戦いとして知られる関ヶ原の戦いでも知られざる活躍をしたと言われています。

伊賀忍者と甲賀忍者の違い

甲賀忍者は主君に忠義を尽くす一方で、伊賀忍者はお金で雇われる、現在で言うところの傭兵のような役割を持っていたと言われています。

フィクションでもでてくる「抜け忍を許さない」風習は伊賀のものであったそうです。

また伊賀忍者は身体能力に優れており、顔の半分を紙で覆い、その紙を顔から落とすことなく1里以上走りぬく修行などを行っていたそうです。

忍者の底知れぬ身体能力のイメージは伊賀忍者のこういった修行方法から端を発しているのかもしれませんね。

一方甲賀忍者は、諸国に散らばり情報収集を行う、いわゆる隠密行動を得意としていたと言われています。

隠密行動で諸国を渡り歩くのに怪しまれないよう、甲賀忍者は薬売りに扮していたと言われています。

忍者の変装のイメージは甲賀忍者から来ているのかもしれません。

さすがに、分身の術や巻物をくわえてドロンと変身! というのはフィクションの産物でしょうが、忍者のイメージである超人的な身体能力や変装の技術は史実のものだったようですね。

2017年夏公開の映画「忍びの国」の舞台は伊賀

嵐の大野智さん主演の映画、忍びの国の舞台は伊賀です。

これは実際にあった「天正伊賀の乱」を下敷きにした物語となっています。

時は織田信長がまさに天下に手をかけようとしていた時代。

織田信長は諸国の有力な勢力に対し高圧的な態度を取り始めます。

各国に織田家に従うよう命令する文書を送っていましたが、伊賀忍者や甲賀忍者たちも例外ではありませんでした。

対立を深めていった伊賀忍者と織田軍の間に、ついに戦が起こります。

織田信長の息子である織田信雄が、1万の大軍を率いて伊賀に侵攻してきたのです。

伊賀忍者たちは、なんとその軍勢数百にもかかわらず、1万人の織田軍を圧倒してしまいました!

しかしその後、織田信長の怒りに触れ、今度は5万人で攻め入ってきた織田軍に伊賀忍軍はあえなく敗北。歴史からその姿を消すこととなります。

超有名な伊賀の忍者 服部半蔵

忍者モノのフィクションには必ずと言っていいほど登場する、服部半蔵。

彼は伊賀流の忍者。物語でも「伊賀忍者筆頭」として登場する機会が多いですね。

服部半蔵の活躍でも特に有名なのが、「徳川家康の伊賀越え」です。

伊賀越えは、織田信長が討たれた有名な「本能寺の変」に端を発します。

織田信長を討ち取った明智光秀は、機に乗じようと諸国の有力武将を討ちにかかります。

本能寺の変を知った徳川家康は一刻も早く自国へ帰る必要がありましたが、連れていた家臣は30人程度。

当時堺から京都に向かっていた徳川家康は、たった30人の家臣と共に、追撃してくる明智軍と褒賞目当ての地元の武将たちに出くわさないように伊賀を越える必要がありました。

この伊賀越えを助けたのが、伊賀忍者筆頭の服部半蔵だったのです。

服部半蔵は伊賀忍者筆頭として伊賀忍者らを指揮し、伊賀忍者しか知らないルートを徳川家康に通らせ、無事に自国の三河へと帰り着かせました。

伊賀越えの功績により、かつて信長によって離散した伊賀忍者たちを徳川家康が召抱えることとなり、そして伊賀忍者たちを服部半蔵が統率することとなったのです。

伊賀に残る忍者の痕跡

現在も三重県伊賀市には観光資源として忍者の痕跡を見ることができます。

上野市駅から徒歩で行ける伊賀上野城の近くには、伊賀流忍者博物館があります。

伊賀の土豪屋敷を移築した忍者屋敷には、「どんでん返し」や「仕掛け戸」など、忍者のカラクリが再現されており、忍者やくノ一に扮したスタッフが実演を交えて案内してくれます。

三重県出身の筆者は遠足で忍者屋敷で忍者体験をして、小学生の頃はすっかり忍者ファンになってしまいました(笑)

また本物の刀や手裏剣を使った忍者実演ショーや、200点の忍具の展示が行われており、歴史ファンならずともテンションが上がること請け合いです。


織田家、徳川家康、豊臣秀吉と、まさに日本史を代表する武将の影に確かに存在した忍者。

その痕跡は今も三重県伊賀市に見ることができます。

クールジャパンとして外国にも根強い人気を誇る忍者の文化を見に行ってみてはいかがでしょうか。

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